Pすく~る活動報告

第2回活動報告

■活動日・時間 2023年5月24日 13:00~14:30


■活動形態 対面活動(612教室)


■参加者 計6名


〇ファシリテーター:Aさん

〇アイスブレイク

・名前、コース/専攻

・最近あった良かったこと/嬉しかったこと

〇p4cのテーマ:「自由」

〇皆の問い

「自由に伴う責任とは?」(Bさん)

「自由を感じるときってどんなとき?」(Cさん)

「みなさんにとっての”自由”とは?」(Aさん)

「自由には責任が伴うのか」(D)

「なぜ自由過ぎると行動しにくくなるのか」(Eさん)

「大人と子ども、どっちが自由?」(Fさん)

〇ルールの確認

〇今日の問い

「大人と子ども、どっちが自由?」(Fさん)

・ハワイ大学との交流で、このことを疑問に思った。自分でも考えがまとまらないから意見を聞きたい。(Fさん)

・子どもの時の方が自分で使える時間が多い。学校や掃除などの時間はあるが、帰れば自分の好きなことができる。だが、安全の範囲内の自由がある。自由の質が違う。安全の範囲内の自由が子ども、やることをやったうえでの自由、責任が伴う自由が大人。(Aさん)

・子どもは時間がたくさんある。大人は限られた自由。だが、仕事をしないという自由も選択できる。金銭的な面もある。子どもは大人の管理下の自由。例えば、お小遣いとか。大人と子どもでは、使える金銭が違うから、やれることも変わる(Bさん)

・子どもの方が自由。自分に返ってくる楽しさが子ども。自分の好きなことがしにくい、自分に返るものではなく、他のものに返っていく。(Eさん)

・子どもの方が自由。大人だと客観的に見る。制約を自覚しているのが大人。自覚していないのが子ども。(Cさん)

・自覚の違いは考えていなかったから、新鮮。子どものときは制約とかを考えていなかった。子どものとき大人もやりたいことをやって、自由に見えていた。どっちが自由かは分からない。その人がどう動くかによって決まるのかも。(Fさん)

「いま、大学生である皆さんは、自由?」(Aさん)

・比較的、自由。社会人みたいに働いているわけでもない。好きなことに没頭できる。(Aさん)

・自由な環境にいる。したいことを行動にすぐに移せる。高校とかは自由ではあったが、時間に区切りはあった。自分のために時間を使えることが自由。(Eさん)

・自由。スケジュールを自分で組める。高校までだと、公的・強制的にスケジュールがあったが、今は授業を選択したり、空きコマに何かをしたりすることができる。また、行動の範囲が広がった。選択肢を自分で選択するというのが自由。制限なく自由に選択できる。(Bさん)

・難しい。自分の人生の中で自由になったことはあるのか。そもそも、大学に行くことが、世間では当たり前だから、行かされている感もある。学年が上がれば好きなことをできるが、英語が嫌いなのに、必修で取らなきゃいけなかった。(Cさん)

・高校までは、自分のやりたいことだけにお金を使えるけど、大学になってから、全て自分でやりくり。やりたいように動けない自分がいる。(Fさん)

・自由ではあるが、人との関わりで自由は制限されている部分もある。(D)

・自由には金銭、時間、行動の範囲、慣習、色々なものが関わっている。誰かにとっては自由でも、誰かにとっては自由ではないことも。(Aさん)

「自由って何だろう?」(Aさん)

・時間的な余裕があって自由に使えること=自由だったけど、結局やらなきゃいけないことをやってるので、自由ではない?大学に行っていることも、社会に転がされている?自由は本当に存在しているのかな。曖昧で相対的。(Aさん)

・大学に行きたくない→行かない→自由?制約、縛りがあったうえで、越えて思ったようにやれたときが自由かもしれない。(Fさん)

・物事を決めるときに、選択権があることが自由。学校に行くか否か。決めるのは自分。どちらも選べる状態。誰かから、こっちにしなさいと言われているわけではない。選択権があることが自由。(Eさん)

・選択肢があるか否か。二つ以上の選択肢があることが自由。(Cさん)

・選択権があること。自由のイメージは、空、しがらみのない状態、自分が選択できる状態。選択肢があっても、誰かからの強制力がない状態で、自分の意思で選べる。影響によって選択は変わるが意思で選べること。他者危害の原則のように、他者に危害を加えなければ自由は保障される。(Bさん)

・選択できること=自由。(D)

・選ばなきゃいけない状況は、自由?自由に制約がつくのはどうなのか。(Aさん)

・価値観。大人と子どもで感じる自由の価値観は違う。大人は選択。子どもはやりたいことをやっている。選ぶという概念がない。やりたいことをやる。自由でも色々ある。(Bさん)

・妥協した部分は、自由から除外されている?(D)

・やりたいことをやるのが自由。妥協できないやりたいことをできたときが自由。(Fさん)

・手の届く範囲で選ぶのが自由。諦める部分があってこその自由。例えば、ディズニーを買収したいということがあってもできない、でも自由ではないとは言えない。自分が可能な範囲で、やっていくことが自由。(Eさん)

・選択肢の中で選んで進んでいくのが自由。美味しい肉があって、ウェイターでも食べるのは本能、食べないのは自由と言われる。妥協も自由。(Aさん)

・やりたいことが取り返しのつかないもの、妥協を許さないことをやらせてもらえることは自由。自由を規定するのは周りの人か自分か。(Cさん)

「主観的な自由と客観的な自由は同じなのか」(Cさん)

・自分が自由を考えるとき、他と比較するので、自分が人と比べてどうかなので主観的だが、比較することは客観的(Aさん)

・主観的自由と客観的自由には、差がある。(D)

・主観的だと、過去の自分と比べて。客観的だと、周りの人と比べて。比べる対象が違う。(Eさん)

・主観的な自由と客観的な自由は違う。自分がやりたいことができたときが自由。自分目線で考えて、過去の自分を考えて自由か否か。客観的な自由は、大人はこう考えている、子どもはこう考えているということは、当てはまらない。目線も立場も違うから、一緒にならない。(Fさん)

・人によって価値観が違う。何に重きを置くのか、感じる自由が違う。充実しているから自由、欲しいものが買えるから自由とか。自由は、人それぞれ、似ているようで違う。(Bさん)

・そもそも主観的な自由は存在しない?自分の価値観は、自分だけでは生まれていない、他者の影響がある。自分で選んでいるつもりでもそうではない。(Cさん)

「100%の自分はない?」(Cさん)

・漫画の中で、登場人物は生活を過ごしているが、作者の意図に、動かされている。自分もそうなのではないか。自分って何なのかな。五割くらいは自分。自分一人で物事を決めるのが苦手。他人の価値観と自分の価値観を合わせてできている。(Aさん)

・選択するときに社会から制約を受けないで、自分で受けてきた影響も含め考えるが、環境や人で選択する内容は変わる。子どもの頃から世界が作られていき、広がっている。環境がその人に与える影響は大きい。(Bさん)

・影響されていくが、自分の中で消化していく。それは自分の中では自分と違うとはならない。自分のと、他者とのが混ざりあって、選択。自分の中の自己はある。(Fさん)

・自己もいるし、他己もいる。せめぎ合っている。他者の影響を消化している。(D)

・八割くらいが自己、残りは、他者から見た自分を考えて行動している自分。自分じゃない自分もいる。行動しないようにするというのも自分の選択だから、自由。(Eさん)

・他者の影響だけど、自分の中で自分のものにしている。適応していて、受け入れようと思ったから自分という考え方は良い。くっついて新しい世界が広がっているのも、良い。割合だと、絶対量がある。(Cさん)

・自己を抑えないといけない場面もある。自分はなくならないようにしなきゃいけない。(Aさん)

「自分って、どのくらい出していけば良いのか。」(Aさん)

・自分を適応させていく。人との距離感による。(D)

・その場でパズルのピースになろうとする、自分を出しつつ、合わせていく。周りを見つつ行動する。(Bさん)

・対人関係でごちゃごちゃするのが嫌なので、自分を出せないなら離れるか、話さない。絶対に自分を出さなきゃいけない環境でいかに出すか。(Cさん)

・その場に合わせて言動を変化させる。譲れないところはもつ。それ以外は合わせる。(Fさん)

・だれと関わるかによって変わる。その場で自分が行動しやすいように、対応を変えていっている。(Eさん)

・自分の見せ方・出し方がある。万人に対して見せられる部分、見せられない部分がある。絶対的に見せたくない部分を見せなくてはいけないときもある。どの部分を見せるかということを切り取ることは難しい。(Aさん)

・自由から自分へと派生。難しい。何を選択するかの自由は変わらない。自分をどれだけ出して関わっていくかも選択。(Eさん)

・人間関係、もっと考えようと思った。今までは自由だと嬉しいっていうのがあったが、自由じゃなくても幸せなこともある。人間関係も自由ではない。状況によっては窮屈。人と関わることは窮屈だけど、考えは広がる。自分の考えが広がることは良い。(Cさん)

・自由は一概に良いものではない?(D)

・二択で決めることはできない。考えて話してレベルアップしていくこともできる。(Fさん)

・自由はプラスのものだと思ったが、自由じゃなくても幸せな時間はある。グラデーション、自分の気持ちや状況で、変わるもの。自由から自分のことにいくとは思わなかった。(Aさん)

・どっちが自由かと言われると、分からない。何が自由かは変わる。どっちも自由なのだろう。それぞれの年代によって、自由は変わる。自由が個人の価値観、価値の形成へ。話が面白かった。(Bさん)

活動写真

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