p4cみやぎ「p4cだより」no.53
令和6年8月8日
p4cみやぎ7月研修会報告
2024年度 第2回p4cみやぎ研修会(オンライン)
学校が夏休みに入り暑い日々が続く中、7月24日(水)に35名の参加者をお迎えして、第2回p4cみやぎ定例研修会(オンライン)が開催されました。今回は新しい参加者が4名と毎回新しい方が増えております。
【各グループから】
〈Aグループ〉
〇問いにある制限されている様々なことというのが気になる。飲酒や喫煙?オリンピック出場が剝奪された選手が未成年で話題になっているが、ルールと制限の関係なども考えてみたい。
〇まず問いから疑問に思ったことは、大人と子どもの境目はどこ?や、制限は大人が子どもを守るためなのかということ。また、不幸というのは誰から見て不幸なのかということが気になる。比較ができるようになってから、不幸に感じるのではないか。
〇制限というと、まず校則をイメージする。髪型の制限など、時々、自分でもなぜこういう決まりがあるか、正直わからない時がある。大人は制限されていないことを考えると、子どもを守るためにあるのかと思う。
〇アメリカでは、子どもは中学生前までは一人では出歩けない。全て親が送り迎えしなくてはいけない。また、理由なく学校に子どもを3日間行かせないと警察に通報される。表面上は、不登校はいない。ただ、子どもが不幸かというと、安全面のリスクなどを考えると、子どもを守るための社会の仕組みかもしれない。
〇子どもの時は、不幸とか幸せとかを意識せず、むしろ楽しいとか、嬉しい、悲しいなどその時の感情だけで動いている。不幸というのは、大人になって、他と比較するようになってから生まれてくるものかもしれない。
〇制限というのは、その国らしい人間を育てていくのではないか。日本人であっても、アメリカで過ごしていると日本人としての良さは薄れていく。アメリカでので制限は、アメリカ人らしい人間を育てる。
〈Bグループ〉
〇「子ども」という範疇は広いので、どのあたりを示すかで今回の話の内容が異なってくる。
○制限や自由は、環境に左右されるのではないか。SNSが発達してくると世界が広がるようだがそうでもない。
〇昔は、家業を継ぐということが多く、職業選択の面からすると迷わなくて済むが、「今の子どもたち」は「何になってもいいよ」と言うと、逆に困っている子どもたちはいるだろうなと思う。ある程度制限をかけた方が決めやすいのかもしれない。
〇幸せかそうでないかは、他者と比較しないとわからいことがある。
〇自分と違う人や環境を見ることで、自分の中に比較という言葉現れる。大人だろうと子供だろうと、その置かれた環境や年齢、時代によって、人は他者との比較で幸か不幸かを感じるのだろう。
○自分が幸せだ、楽しいと感じることを見付けていくことが大事かなと思う。
〈Cグループ〉
〇子どもの頃、制限されていることがあっても不幸だと思わなかった。制限されることがネガティブなことだけではない。大人だって制限はある。子どもは破ったところで責任もない。大人と子どもは違う。
〇子どもの頃は大人を見て、「いいな、したくてもできない、大人になったらしたいな。」など制限されていても感情として悔しい、残念などの思いはあったが不幸だという感覚はなかった。
〇不幸かどうかその子が決める。不幸な境遇でもその子が不幸だと思っていないこともある。
〇制限とは何か。世の中には決まりごとがある。あって当たり前、しかし、それにしばられると苦しい。
〇その人にとってお互いの生活がうまくいくためのきまり。それが何のために設けられているのか、自分にとって意味のあるものだと思えば制限とは感じない。その人にとって「きまりごと」がどういう意味を持っているかだと思う。
〇ルールとして理不尽なものなどルールの妥当性も必要。守ったらみんなにとっていいこと。だから守れる。それが合わないと窮屈になる。
〇親が子に対して制約、それによって子がしばられることもある。逆に親が制限しないようにしても子ども自身が制限してしまう。昔は子どもの進路に親の考えや経済状況などの制限があった。今は「何をやってもいいよ、あなたの好きにしなさい。」という親は多い。しかし、かえって子どもは戸惑う。制限がなさすぎると何をしていいかわからない。今の子どもたちは周りからどう思われるか、自分自身を制限して、しばられている。そして自分で限界を決めてほしくはない。
〇制限、制約することが不幸かどうか、ある程度あった方がうまくいく場合もある。